一億総中流をつくったのが、GHQではなかった理由 ―― 上位1%の取り分が7年で3分の1になった

上位1%の取り分が1938年19.9%から1945年6.4%へ。改革が来たのはそのあと

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やっしー隊長です。

一億総中流という言葉があります。戦後の日本は、みんなが自分を中くらいだと思っている国だった、という意味で使われます。

では、その平等はどこから来たのか。

GHQが財閥を解体した、という話を中学の社会で習った覚えがあります。三井や三菱の一族が持っていた株を取り上げて、配り直した。農地改革もありました。地主から土地を取り上げて、小作農に安く売り渡した。

それで日本は平等な国になった。だいたいそういう話だったと思います。

覚えているのはそこまでで、いつ何が起きたのかは、きれいに忘れていました。

前回、戦前の日本で上位1%が国じゅうの稼ぎの2割を取っていた、という話を書きました。その数字が7年後にどうなるかまで調べてありますので、続きになります。

1938年、19.9%。

1945年、6.4%。

3分の1です。

農地改革がいつだったかというと、1947年から1950年にかけてでした。

順番が合いません。


目次

1. ここまでの2回で分かっていること

この連載を途中から読む方のために、前の2回を短くまとめておきます。

第1回 ―― 江戸の農村は、イギリスより平等だった

公文譲氏が全国584か村の土地台帳から推計したところ、江戸時代の農村は土地所有のジニ係数0.57、土地を持たない世帯15%でした。つまり85%の家が、大なり小なり自分の田畑を持っていたことになります。

しかもこの分かれ方は、1640年から1870年まで230年間ほとんど変わりませんでした。同じころのヨーロッパは産業化のずっと前から不平等が増え続けています。江戸の農村は動きませんでした。

第2回 ―― 戦前の日本は、アメリカより格差が大きかった

ところが所得のほうを見ると、話が変わります。

森口千晶氏とEmmanuel Saez氏の推計では、1885年の時点ですでに上位1%が国民所得の2割を取っています。1939年の日本は約20%で、同じころのアメリカ・フランス・ドイツはいずれも約15%でした。

土地はまだ江戸のまま分かれていたのに、稼ぎの集中はもう起きていた。格差は農村の外で生まれていたことになります。

そして、その上位1%の所得の約半分は、働いて得たお金ではありませんでした。地代・利子・配当です。

この最後の一行が、今回の話の起点になります。


2. 三つの言葉の意味

何度も出てくる言葉を、先に開いておきます。

上位1%の取り分

その年に日本じゅうで生まれた稼ぎのうち、所得の多い順に並べて上から1%にあたる人たちが、どれだけ持っていったかの割合です。専門用語では上位所得シェアと呼ばれます。

金額ではなく割合であることが大切です。国全体が貧しくなっても、みんなが同じだけ貧しくなるなら、この割合は変わりません。

資本所得

働いて得たお金ではなく、持っているものから入ってくるお金のことです。土地を貸して受け取る地代、お金を貸して受け取る利子、株を持っていることで受け取る配当がこれにあたります。

実質

物価の変動を除いた値のことです。

戦後の日本は物価が数十倍になっていますので、金額をそのまま比べると意味がありません。財産の額を比べるときは、すべて実質の値を使っています。


3. 1938年から1950年に、何が起きたか

年表にすると、こうなります。

起きたこと上位1%の取り分
1938年国家総動員法。日中戦争で重工業がふくらむ19.9%
1945年8月に敗戦。9月にGHQが来る6.4%
1945〜52年占領期の民主改革(財閥解体・農地改革・財産税)
1946年財産税
1947〜50年農地改革

6.4%まで減りきったのは1945年です。教科書が理由に挙げるものは、財閥解体もふくめて全部そのあとに来ています。

念のため書いておきますと、1945年の所得には、占領が始まる前の8か月分が入っています。GHQが来たのは9月です。財産税は翌年、農地改革はさらにその次の年からでした。

つまり日本の格差は、誰かが手を付ける前に縮んでいました。

では、何が縮めたのか。


4. 金持ちほど、大きく減っている

上のほうを細かく分けると、減り方がまるで違います。

上の層1938年1945年減り方
上位1%19.9%6.4%約3分の1
上位0.1%9.19%1.89%約5分の1
上位0.01%3.81%0.56%約7分の1

上位1%より上位0.1%、上位0.1%より上位0.01%のほうが、減り方が大きくなっています。

100人の国、1万人の国

パーセントのままだと偏りの大きさが見えにくいので、前回と同じように人数に直します。

まず、大人が100人しかいない国を考えてください。この100人が1年に稼いだ合計は100万円とします。

1938年1945年
いちばん上の1人の取り分20万円6万4千円
残り99人が分ける額80万円93万6千円

次に、上位0.01%を見るために、大人が1万人いる国に広げます。1万人の稼ぎの合計を100万円とすると、1人あたりの平均は100円です。

このうち、いちばん上の1人が取っていた額です。

取り分平均の何倍か
1938年3.81%3万8,100円381倍
1945年0.56%5,600円56倍

1万人にひとりの層は、平均の381倍を取っていた立場から、56倍を取る立場に変わりました。

56倍でも十分に大きな差ですが、7年前と比べれば7分の1です。

上位5%から1%までの層は、ほとんど変わっていない

この7年の数字には、もうひとつ特徴があります。

上位5%から1%までの層、つまり金持ちのなかでは下のほうにあたる4%は、ほとんど変わっていません。

日本じゅうの金持ちが等しく沈んだわけではありませんでした。

戦争が削ったのは、金持ちの層のなかの、さらにいちばん上だけです。医者や会社の部長や小さな工場の主といった人たちの取り分は、そのまま残っています。消えたのは、大株主と財閥の重役の分でした。

差が縮んだのは、上位1%の内側だけだったことになります。


5. 減ったのは、給料ではなかった

なぜ、いちばん上だけが減ったのか。

前回書いたことが、そのまま答えになります。

戦前の上位1%というのは38万人ほどで、この人たちの所得の半分は、働いて得たお金ではありませんでした。地代、利子、配当です。

戦争が削ったのは、そこでした。

戦時統制 ―― 不労所得に厳しい制限がついた

始まりは1938年の国家総動員法です。

森口千晶氏はこう書いています。この統制は、直接生産に従事する農民や工場労働者を保護する一方で、「不労所得」とも呼ばれる資本所得(地代・配当・利子)や重役報酬に厳しい制限を加えた、と。

国が戦争にお金を回すために、働かずに入るほうのお金を止めたことになります。

順番として大事なのは、ここです。財閥から配当と役員報酬を取り上げはじめたのは、GHQではありません。日本政府でした。しかも1938年、上位1%の取り分がいちばん高かった、その年から始まっています。

空襲 ―― 焼ければ地代も配当も入らない

工場も倉庫も貸家も燃えます。燃えれば、そこから入ってくるお金も止まります。

働いて給料をもらう人は、勤め先が残っていれば給料が続きました。持ち物から食べていた人は、持ち物が焼けた時点で入りが止まります。

物価 ―― 契約で決まった額は増えない

戦時中から物価は上がりはじめていました。

地代も利子も、契約で決まった額です。物価が2倍になっても、契約書の数字は2倍になりません。

給料のほうは、遅れながらも名目では物価に追いつきます。持ち物から入ってくるお金は追いつきません。

この三つが重なって、持ち物で食べていた人だけが減りました。持ち物の割合は上の層ほど高いので、上ほど大きく減ったことになります。


6. 遺した財産で見ると、もっと激しい

所得ではなく、財産のほうでも同じことが確かめられます。

相続税の統計を使うと、亡くなった人が遺した財産の額が分かります。物価の変動を除いたうえで、1936年と1949年を並べてみました。

上の層1936年 → 1949年(実質)
上位0.01%が遺した財産140分の1
上位1〜0.5%が遺した財産18分の1

140分の1というのは、1億円が71万円になったということです。

ここでも上ほど減り方が激しく、しかもその差は8倍近くあります。所得で見たときの傾き(3分の1/5分の1/7分の1)より、財産で見たときの傾きのほうがきついことになります。

財産の中身が入れ替わった

減っただけではありません。何を持っているかが入れ替わっています。

上位層が遺した財産のうち、株式と債券が占める割合の移り変わりです。

株式+債券の割合
1935年49%
1950年15%
1987年22%

紙で持っていた財産が消えました。

そして、この割合は戻っていません。高度成長もバブルも通り越した1987年の時点で、まだ22%です。半分あったものが、半世紀たっても2割ちょっとにしかなっていません。

2005年になっても、1936年に届いていない

いちばん驚いた数字がこれです。

上位0.01%が遺した財産の額は、物価の変動を除くと、2005年になっても1936年に届いていません。

そのあいだに、日本人1人あたりの生産は10倍になっています。

国全体が10倍豊かになった70年のあいだ、いちばん上の層だけが、戦前の額に戻っていません。


7. 戻れなくしたもの

ここから1946年以降の話になります。

ハイパーインフレ

1944年から48年にかけて、物価が5,300%上がりました。54倍です。

現金、預金、国債、社債で持っていた財産は、これで消えました。

財産税(1946年)

一度だけ課された税です。稼ぎではなく、持っている財産そのものにかかりました。

財産の額税率
10万円を超える部分25%から
(段階的に上がる)
1,500万円を超える部分90%

いちばん上の段では、財産の10分の9が国のものになります。

農地改革(1947〜50年)

指標改革の前 → 後
耕地に占める自作地の割合約54% → おおむね9割
自作農家の割合31% → 62%

自作地というのは、耕している人が自分で持っている田畑のことです。人から借りて耕す小作地の反対になります。

財閥解体、労働組合法、そして高い累進性の所得税と相続税

累進性というのは、稼ぎや財産が多い人ほど税率が高くなる仕組みのことです。戦前はこの傾きがゆるく、家の財産を長男がまとめて継ぐ家督相続には、税を軽くする決まりまでありました。それが逆になります。

四つ並べると、逃げ場がない

持っていたもの当たったもの
現金・預金・国債・社債インフレ
田畑農地改革
会社そのもの財閥解体
残ったもの全部財産税(最高90%)

戦争が減らしたものを、制度が固定しました。

森口氏は、この一連を「回復しなかった理由」として説明しています。土地と株と家計の資産が大きく配り直され、富そのものの集まりが解けた。だから資本所得の差が長く平らなままになった、という順序です。

差そのものは改革の前に縮んでいて、改革がやったのは、戻る道を塞ぐことでした。


8. インフレを1945年の説明に使わない

ここは書きながら気をつけたところです。

論文が挙げている崩落の原因は四つあります。ただし、四つが同じ時期に効いたわけではありません。

原因いつ効いたかどちらの説明になるか
戦時統制戦時中1945年までに減った理由
空襲による破壊1944〜45年1945年までに減った理由
ハイパーインフレ大半は1946〜48年戻らなかった理由
占領期の改革1946〜50年戻らなかった理由

物価5,300%という数字は、1944年から1948年までの4年分の合計です。1945年末までに終わっていた分は、その一部でしかありません。

ですので「インフレで金持ちの資産が紙くずになったから1945年に6.4%まで減った」と書くと、まだ起きていないことを原因にしてしまいます。

減った理由と、戻らなかった理由は、分けて考える必要があります。そして教科書が挙げるもの(農地改革・財閥解体・財産税)は、全部が後者に入るものでした。


9. 農地改革が戻した、土地の分かれ方

農地改革について、付け足しておきます。

これは所得ではなく、土地という財産の分かれ方を変えた改革でした。

第1回で調べた江戸の村は、85%の家が自分の田畑を持っていました。自作地9割という戦後の数字は、それに近いところへ戻っています。

江戸の村の分かれ方が明治から昭和にかけて薄れ、戦後にまた戻った、という見方もできそうです。

ただし、江戸の85%は家の数の割合、戦後の9割は耕地の面積の割合を指します。そのまま並べられる数字ではありません。似た形に見える、という以上のことは言えません。


10. そのあと、40年ほど変わらなかった

1945年に6.4%まで減った上位1%の取り分は、戦後もそのままでした。

上位1%の取り分
1938年19.9%
1945年6.4%
1947年7.36%
1955年6.91%
1960年8.17%
1970年8.19%
1980年7.16%
1989年7.90%

40年以上、7%から8%台に収まっています。このあいだに日本の経済は何倍にもなりました。それでも取り分は変わりません。

一億総中流と呼ばれた時代の中身は、この数字です。

一億総中流という言葉は、もともと暮らし向きを人がどう感じていたかを指します。ここで見ているのは稼ぎの分かれ方のほうなので、同じものではありません。同じころに、そろって平らになっていた。言えるのはそこまでです。

それでも、始まった年ははっきりしています。1947年の7.36%は、1945年の6.4%からそのまま続いた数字です。1938年の19.9%へは、二度と戻りませんでした。


11. この数字で言えないこと

使える範囲を間違えると、数字は嘘になります。

物価が上がって全員が貧しくなっただけではないのか

これは最初に思ったことです。

ですが、上位1%の取り分は割合です。全員が同じだけ貧しくなれば、割合は変わりません。国全体の稼ぎが100万円から10万円に減っても、上の1人が2割を取っていれば2割のままです。

変わったということは、上だけが減ったということになります。追っているのは、暮らし向きが良くなったか悪くなったかではなく、上と下の差がどうなったかのほうです。

差が縮んだのなら、戦争は良かったのか

そうはなりません。

この7年のあいだに、上の取り分が減ると同時に、国全体の稼ぎそのものが大きく減っています。全員が貧しくなり、そのうえで上だけがさらに減りました。

差が縮んだことと、暮らしが良くなったことは、分けて考えたほうがいいところです。平等になった国の中身が焼け跡だった、というだけの話になります。

1945年の統計の質

混乱期の数字であることは確かで、著者たちも戦時中の統計には気をつけるように書いています。

ただ、1938年の19.9%と1945年の6.4%は、同じ税務統計から同じやり方で作られています。前回使った数字とひと続きの数字です。

なお、1945年について個別の感度分析が行われているかどうかは、確認できていません。ここは「著者が明記していない」とだけ書いておきます。

前回の数字とは比べられる。第1回とは比べられない

今回は前回と比べられます。19.9%も6.4%も、上位1%が国じゅうの稼ぎのうちどれだけ取ったかという同じ物差しで、1885年から2005年まで同じやり方で作られています。

比べられないのは第1回のほうです。江戸の0.57は、村のなかで田畑がどう分かれていたかという持ち物の話で、測っているものが違います。

格差の物差しとして有名なジニ係数も、1940年より前と1955年より後では調べ方が変わりすぎていて、つなげられないと著者が明記しています。連載として並べてはいますが、江戸の0.57と1945年の6.4%のあいだに矢印は引けません。

空襲で焼けたのは金持ちの家だけではない

その通りです。焼け出された人の数でいえば、持たない側のほうが圧倒的に多くなります。

ただ、取り分の割合は、失うものを持っていた側でしか変わりません。何も持っていない人は、失っても割合が変わらないためです。

冷たい言い方になりますが、統計の上ではそうなります。

上位1%は「格差」の全部ではない

上位1%の取り分を見ても、残りの99%がどう分かれているかは出てきません。

真ん中の人の暮らしがどうなったか、下がどれだけ薄くなったかは、この数字からは分からないままです。戦前から戦後まで通して使える物差しが他にないという理由で使っています。

財閥を解体したから格差が消えたのではないのか

いちばん多い受け取り方だと思います。そして半分は当たっています。実際、消えたのは大株主と財閥の重役の分でした。

外れているのは、そこから先です。この人たちの所得を止めたのは解体ではなく、戦時統制と空襲でした。解体がやったのは、株を配り直して、二度と集まらないようにすることです。

森口氏はこの二つをはっきり書き分けています。論文にはこうあります。

上位所得シェアはなぜ戦争という甚大だが一時的なショックから回復しなかったのか。その最大の理由は戦後占領期(1945-1952)の民主改革にある。

そのあとに、土地改革・財閥解体・臨時財産税が土地と株と家計の資産を大きく配り直し、富そのものの集まりを解いた、と続きます。

占領期の改革は「なぜ減ったのか」の答えではなく、「なぜ戦争のあと元に戻らなかったのか」の答えとして書かれています。

農地改革は意味がなかったのか

そうではありません。

稼ぎの集中はすでに終わっていましたが、土地の分かれ方を変えたのは改革のほうです。そして上位1%の取り分は、1947年以降ずっと7%から8%台のまま変わらなくなります。戻ろうとしても戻れない形になりました。

その話は次回になります。

一億総中流の「気持ち」のほうは測っていない

自分を中くらいだと思う人がどれだけいたか、という調査の数字は、この連載では原典を確認していないので使っていません。使っているのは稼ぎの分かれ方だけです。

2006年以降の数字は空欄です

この連載で使っている上位所得シェアは、公表されている系列が2005年(9.2%)までです。それより後の年について、同じやり方で作られた数字は確認できていません。令和の上位所得シェアは空欄のままにしてあります。


12. 使った数字の一覧

数字出どころ
上位1%の取り分1938年 19.9% → 1945年 6.4%森口・Saez
上位1%の取り分(戦後)1947年 7.36% → 1989年 7.90%(7〜8%台で推移)
上位0.1%の取り分9.19% → 1.89%
上位0.01%の取り分3.81% → 0.56%
上位5〜1%の層この7年でほとんど変わらず
上位0.01%が遺した財産1936→1949年に実質140分の1同(相続税統計)
上位1〜0.5%が遺した財産同 18分の1
上位0.01%が遺した財産(実質)2005年でも1936年に届かず
遺した財産の株式+債券の割合1935年49% → 1950年15% → 1987年22%
消費者物価1944〜48年に5,300%上昇
1人あたりの生産1936→2005年に約10倍
財産税1946年。10万円超25%から、1,500万円超の部分に90%森口2017
自作地の割合約54% → おおむね9割関谷1997
自作農家の割合31% → 62%
江戸の土地保有85%の家が田畑を持つ/ジニ0.57公文
戦前の上位1%約38万人/所得の約半分が資本所得森口・Saez(第2回で使用)

13. 平等をつくったのは、制度ではなかった

一億総中流をつくったのは、分けたことではなく、無くなったことだったと考えています。

農地改革も財産税も財閥解体も、たしかに強い政策です。ですが順番を見るかぎり、それらが効いたのは、差が縮んだあとでした。GHQがやったのは、平等をつくることではなく、戻れなくすることでした。

そして、いちばん損をしたのは、地代と利子と配当で暮らしていた人たちです。

自分の話をしますと、これは他人事ではありません。物価が上がれば家賃も上げられる、という言い方があります。私に限って言えば、カヤの外です。実感するまでもなく、金利の上がり方に家賃が追いついていません。

契約で決まった額が毎月入ってくる暮らしは、物価が上がる局面でいちばん弱いのだと思います。

1945年に起きたのは、それでした。


14. 次回

40年ほど変わらなかったものが、1990年代から動きはじめます。

2005年、上位1%の取り分は9.2%になりました。戦後でいちばん高い数字です。

一億総中流と呼ばれた時代が、どこで終わったのか。次回はその話になります。


数字の出典

上位所得シェアの年次データ、上の層ごとの内訳、相続財産の実質額、財産の中身、消費者物価

森口千晶氏とEmmanuel Saez氏の研究

“The Evolution of Income Concentration in Japan, 1886-2005”

国家総動員法と戦時統制、占領期の改革、財産税の税率

森口千晶「日本は『格差社会』になったのか ―― 比較経済史にみる日本の所得格差」(一橋大学経済研究所 DP A666)

農地改革の数字(自作地率・自作農家の割合)

関谷俊作「農地改革と農地制度の展開」(農林業問題研究 第127号、1997年)

江戸期の土地分布

公文譲の研究

※ 財産の額は、すべて物価の変動を除いた実質の値で比べています。


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やっしー隊長

※本記事は2026年8月時点の公開情報に基づきます。

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この記事を書いた人

不動産投資歴15年超 / 大家さん学びの会名古屋 支部代表 / AI 開発者 / 著書「FIREできる不動産投資3つのルール」(45才からいきなり始めて成功できる)。本名: 岡本 康 (ブルー・ソリューションズ株式会社 代表)。中立的立場で生成 AI ツール・不動産投資サービスをレビュー。

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