※当ページには広告(プロモーション)が含まれています。
やっしー隊長です。
大家業というのは、思っているほど仕事がありません。
入居者が入っていれば家賃は振り込まれます。退去や修繕の連絡が来なければ、こちらから動くことはあまりない。通帳と管理会社からのメールを見て、それで終わる日もあります。
つまり、暇なのです。
暇だと、気になったことをつい調べてしまいます。前回は江戸時代の農村の格差を調べました。今回はその続きになります。
さて、戦前の日本は貧しかった、と学校で習います。それは本当で、当時の日本人の平均の稼ぎは、いまの物価に直すと年75万円ほどしかありません。ひと月にすると6万円ちょっとです。
その貧しい国で、いちばん上の1%の人たちが、日本じゅうの稼ぎの2割を取っていました。同じころのアメリカ、フランス、ドイツでは、いちばん上の1%が取っていたのは15%くらいです。
貧しいうえに、欧米より差が大きい。それが戦前の日本でした。
1. 三つの言葉の意味 ―― 国民所得・上位1%の取り分・資本所得
何度も出てくる言葉は、三つだけです。
国民所得 ―― その年に、日本じゅうの人が働いたり持ち物から受け取ったりして得たお金の合計です。国全体の1年ぶんの稼ぎ、と考えて差し支えありません。
上位1%の取り分(上位所得シェア) ―― 稼ぎの多い順に大人を並べて、上から1%にあたる人たちが、国民所得の何%を受け取ったかという割合です。100人のうち上の1人が、100人ぶんの稼ぎの何%を取ったか、と読み替えられます。
資本所得 ―― 働いて得たお金ではなく、持っているものから入ってくるお金です。土地を貸して受け取る地代、お金を貸して受け取る利子、株を持っていることで受け取る配当が、これにあたります。
2. 100人のうち1人が、20人分の稼ぎを取っていた
パーセントのままだと、どれくらいの偏りなのか見当がつきません。
日本に大人が100人しかいない国があるとして、この100人が1年に稼いだお金の合計は100万円。
いちばん上の1人が、このうち20万円を持っていきます。残りの99人で分けるのは、80万円。
1人あたりにすると、上の1人は20万円、下の99人は8千円ずつ。20倍以上の差がつきます。
これが1938年の日本でした。
実際の人数に戻します。当時の日本には20歳以上の人が3,765万人いました。その1%は、およそ38万人です。この38万人が、国民所得の19.9%を受け取っていました。
いまの物価に直すと、1938年の成人1人あたりの平均は年75万円ほど。上位1%の38万人は年1,500万円ほどになります。
平均のほうが、いまの感覚では低すぎると思われるかもしれません。ですが、そこが正しいのです。戦前の日本が貧しかったというのは、こういうことでした。
※ 金額は、論文が基準にしている2002年の物価を、消費者物価指数で2024年の物価に直した値です(2002年から13.3%上昇)。
所得税を払っていたのは、大人の3%だけ
もうひとつ、この年の数字で目を引くものがあります。
所得税を申告した人は122万人しかいません。20歳以上の3.26%です。
つまり残りの97%は、所得税を払っていませんでした。払うほどの収入がなかったからです。
いまの日本では、給与をもらって働く人のおよそ6割が所得税を納めています(6,077万人のうち3,753万人。2024年・国税庁)。当時とは、そもそも社会の形が違いました。
3. 格差の物差しにジニ係数を使えない理由
森口千晶氏とEmmanuel Saez氏という二人の研究者がいます。日本の所得税の統計から、上位1%の取り分を1885年まで遡って計算しました。
ここで当然の疑問が出ます。格差を測るなら、ジニ係数ではないのか。
ジニ係数というのは、全員の所得の偏り方を0から1の数字ひとつで表したものです。0なら全員が同じ額、1なら1人が全部取っている状態を指します。前回の江戸の記事で使った0.57も、これでした。
ただ、この数字は長い期間ではつなげられません。二人自身が、1940年以前と1955年以降のジニ係数は接続できないと書いています。統計の取り方が変わりすぎているためです。
所得税の統計であれば、税務署が納税者を全員数えているので、家計の調査よりずっと古くまで遡れます。日本で所得税が導入されたのは1887年です。国際的にみても、かなり早い時期でした。ピケティたちが上位所得シェアという指標を作ったのは、こうした事情によります。
4. 上位1%の取り分は、1885年から1938年までこう動いた
推計結果は次のとおりです。
| 年 | 上位5% | 上位1% | 上位0.1% | 上位0.01% |
|---|---|---|---|---|
| 1885-87 | — | 20.0 | 7.28 | 3.05 |
| 1889-91 | — | 14.6 | 5.74 | 2.46 |
| 1900 | — | 16.3 | 6.83 | 2.51 |
| 1905 | — | 18.1 | 7.82 | 2.97 |
| 1910 | 33.5 | 18.9 | 7.75 | 2.81 |
| 1915 | 32.8 | 19.6 | 9.09 | 3.70 |
| 1916 | 30.9 | 19.5 | 9.72 | 4.38 |
| 1918 | 25.6 | 16.6 | 8.30 | 3.68 |
| 1920 | 28.1 | 17.1 | 7.90 | 3.23 |
| 1924 | 33.6 | 19.7 | 8.62 | 3.43 |
| 1930 | — | 16.8 | 7.32 | 2.95 |
| 1937 | 31.3 | 19.3 | 8.83 | 3.80 |
| 1938 | 31.8 | 19.9 | 9.19 | 3.81 |
単位は%です。所得は税金を引く前、国からの給付を足す前の金額で、株や土地を売って得た利益は含みません。上位◯%というのは、20歳以上の人口を母数とした割合になります。
大事なのは一行ずつの数字ではありません。1886年から1938年まで、上位1%の取り分がずっと14%から20%のあいだに収まっていたことです。
世界恐慌のあと、2年で元の水準に戻っている
日清戦争、日露戦争、第一次大戦、世界恐慌。そのたびに数字はいったん下がるのですが、毎回すぐ戻ります。
とくに1929年の世界恐慌のあとは、わずか2年で元の水準に帰りました。
日本の恐慌は、アメリカやヨーロッパよりも期間が短く、程度も軽いものでした。世界が沈んでいるあいだ、日本の富裕層はさほど沈まずに済んだわけです。
1885年ごろの数字は誤差が大きい
1885〜87年の20.0%について、二人は「初期の推計は誤差が大きい」と断っています。当時の税務署が、人々の収入をまだ正確につかめていなかったためです。
確実に言えるのは、1900年以降ずっと14〜20%だったこと。1885年の数字は、幅を持って扱うことにします。
5. 同じころのアメリカ・フランス・ドイツは15%前後
1939年の時点で、日本の上位1%は国民所得の約20%を得ていました。
同じころのアメリカ、フランス、そしてナチス・ドイツは、いずれも15%前後です。
産業化した日本は、欧米より格差の大きい国でした。
日本が貧しい国だったから、そう見えるだけではないか。そう思われるかもしれません。ただ1人あたりの稼ぎは、物価の上昇分を除いても、1885年から1938年までのあいだに4倍を超えています。成長はしていました。
上位1%のすぐ下の4%は、それほど取っていない
集中のしかたにも特徴があります。
上位5%まで広げると、取り分は約3割になります。ところが、そのうちの2割はいちばん上の1%のものです。
つまり、1%のすぐ下にいる4%の人たちは、4人分集まっても1割ちょっとしか取っていません。
金持ちの層が厚かったのではありません。ごく一部に、極端に偏っていました。この形は次回の話につながります。戦争で崩れ落ちるのは、いちばん上の部分だけだからです。
6. 明治になっても、農村の土地は江戸のまま分かれていた
前回の話とつながるところがあります。
江戸の村では、85%の家が自分の田畑を持っていました。その分かれ方は230年間ほとんど動いていません。これを調べた公文譲氏は、江戸期と明治初期で偏りが変わっていないものとして計算しています。江戸期は1647〜1872年、明治初期は1883〜95年です。土地の持ち主は、そう簡単には入れ替わらないためです。
つまり明治の初めの時点で、農村の土地はまだ江戸のまま分かれていました。
それなのに、稼ぎのほうの集中は、すでに起きています。
格差は、農村の外で生まれました。
地租改正のあと、田畑を手放す農家が出はじめた
1873年の地租改正で、田畑を売り買いすることが許されました。税金も、米で納める形から現金で納める形に変わります。
現金で納めろと言われても、不作の年には現金が入りません。
国土交通省の資料はこう書いています。地租の負担を重いと感じた自作農のなかには、農地を売り渡して小作農へ転じる者があった。自分では耕さず小作料で稼ぐ地主制が、そうして進んでいった。
自作農というのは自分の田畑を自分で耕す農家、小作農というのは人の土地を借りて耕し、収穫の一部を地主に納める農家のことです。
ただしこれは何十年もかけて進む変化で、明治の初めにはまだ表に出ていません。稼ぎの集中のほうが、先に来ていました。
7. 38万人の所得の半分は、働いて得たお金ではなかった
この38万人は、どこから所得を得ていたのでしょうか。
地代、利子、配当。こうした、持っているものから自動的に入ってくるお金が、所得の半分を占めています。1886年から1937年まで、ずっとそうでした。
地代から配当へ、中身が入れ替わる
その半分の中身は、時代とともに移り変わります。
- 持ち物から入るお金のなかでは、配当の割合が着実に上がり、利子の割合が下がっていきます
- 地代のなかでは、初期は農地の地代が主でしたが、1915年以降にその割合が落ちます
- 当初は自分で商売をして得る所得のほうが多かったのですが、1930年に、会社から受け取る報酬のほうが多くなります
地主の時代から、財閥系企業の重役の時代へ移っていったわけです。財閥というのは、三井や三菱のように、一族が中心になって銀行も商社も工場もまとめて持っている企業グループを指します。
二人はこれを、農地の所有が集中した農業社会から、雇われた経営者のいる工業社会への移行だと説明しています。
二度の戦争で、いちばん上の取り分が膨らんだ
いちばん上の0.1%と0.01%が最も膨らんだのは、第一次大戦のさなかの1916年でした。
ヨーロッパが戦場になっているあいだ、日本は船と鉄を売って儲けます。その儲けは、ごく一部に集まりました。
同じことが、戦前の最後にもう一度起きます。
1930年に16.8%まで下がっていた上位1%の取り分が、1938年には19.9%まで戻りました。日中戦争が始まり、軍需で重工業が膨らんだ時期にあたります。
戦争は、少なくとも初めのうちは、上の取り分を増やしていました。
8. 明治の工場を建てるお金を出したのは、一部の金持ちだった
なぜこうなったのでしょうか。
森口氏の説明はこうです。明治から大正にかけての日本は、工場や船や鉄道をつくるお金を、少数の資産家に頼っていました。資産家が財閥系の大企業にお金を出す。会社が儲かると、株主に高い配当を払い、重役に高い報酬を払う。受け取った側は、それをまた次の投資に回す。
産業を大きくするお金の出どころが、はじめから一部の金持ちだったのです。
だから経済が成長するほど、お金はその人たちに集まります。工場が建ち、船が浮かび、鉄道が伸びるほど、配当と役員報酬が増えていきました。
税と相続の決まりも、富が集まるのを止めなかった
制度の側もこれを抑えていません。
いまの所得税は、稼ぎが多い人ほど税率が高くなります。戦前はその傾きがゆるく、相続税も低いものでした。家の財産を長男がまとめて継ぐ家督相続には、税を軽くする決まりまでありました。
富は、世代を超えて積み上がっていきます。
くわえて、国が生活に困った人を助ける仕組みがありませんでした。救護法ができるのは1929年です。それまで日本に、貧しい人を救う制度はありませんでした。
上に集める仕組みがあり、下を支える仕組みがなかった。そういう時代でした。
9. 1人あたりの稼ぎは4倍になったのに、平均寿命は45歳で止まっていた
では、貧しい側はどうだったのか。
戦前には全国規模の家計調査がないので、貧困率を直接は出せません。かわりの手がかりになるのが平均寿命です。食べているもの、住んでいる場所、医者にかかれるかどうかが、そのまま出るためです。
日本人男性の平均寿命は、1900年から1936年まで45歳前後で止まっていました。
同じ36年のあいだに、1人あたりの稼ぎは物価の上昇分を除いて4倍を超えています。
平均は伸びた。下の暮らしは動かなかった。
都市の日雇いや貧民街の住人と、小作農。彼らが、38万人と同じ時代の同じ国にいました。
10. この数字で言えないこと
使える範囲を間違えると、数字は嘘になります。
上位1%は「格差」の全部ではない
上位1%の取り分を見ても、残りの99%がどうなっているかは分かりません。
真ん中の人の暮らしがどう動いたか、下がどれだけ薄くなったかは、この数字からは出てこないのです。明治から昭和まで通して使える物差しが他にないという理由で使っているにすぎません。
前回の江戸の数字とは比べられない
前回の0.57は、村のなかで田畑がどう分かれていたかという、持ち物の話でした。今回の19.9%は、その年に生まれた稼ぎを誰がどれだけ取ったかという、稼ぎの話です。
測っているものが違います。同じ「格差」という言葉を使っていても、引き算はできません。
連載として並べてはいますが、江戸の0.57と戦前の19.9%のあいだに矢印は引けません。引けるのは、それぞれの時代の中だけです。
脱税で数字が歪んでいる可能性
この数字は、税務署に申告された所得をもとにしています。疑いが出るのは当然です。二人も検証しています。
ただし方向としては、戦前のほうが税務署の体制が弱く、把握できていない所得が多かったはずです。だとすると、実際の格差はこの数字より大きかったことになります。
平均寿命で貧しさを測ることの限界
乱暴ではありますが、他に手がありません。戦前の日本に全国規模の家計調査は存在しないためです。
生まれた赤ん坊が1歳までに亡くなる割合とあわせて使うのが、この分野ではふつうのやり方になっています。
明治から昭和初期のジニ係数は、数値が取れていない
南亮進氏らによるジニ係数の推計は存在しますが、確認できたのは論文中の図だけで、数値そのものは取れていません。
「1890年代の0.43から1937年の0.57へ」という数字をネット上で見かけます。ただ、もとの論文で確認できていないので使っていません。論文本文が明言しているのは「1890年から1940年にかけて所得不平等は急上昇した」という方向だけです。
11. 明治の金持ちは、土地ではなく株から生まれた
江戸の村を平等にしていたのは、田畑が広く分けられていたことでした。
明治が壊したのは、その田畑ではありません。土地はしばらくそのままでした。壊したというより、土地とはまったく別のところに、お金の入り口ができたのです。株と配当と役員報酬でした。
そちらに乗れた38万人と、乗れなかった3,700万人。それが戦前の格差の正体だったと思います。
12. 次回
1938年、上位1%は国民所得の2割を取っていました。
1945年、それが6.4%になります。
7年で3分の1です。教科書は敗戦と農地改革を理由に挙げますが、数字が動いた順番を追うと、そうではありませんでした。次回はその話になります。
数字の出典
上位所得シェアの年次データ、成年人口、納税者数、所得の内訳、国際比較
森口千晶氏とEmmanuel Saez氏の研究
“The Evolution of Income Concentration in Japan, 1886-2005”
産業化の資金と制度、平均寿命、救護法
森口千晶「日本は『格差社会』になったのか ―― 比較経済史にみる日本の所得格差」(一橋大学経済研究所 DP A666)
江戸期の土地分布と明治初期への持続性
公文譲の研究
地租改正と地主制の進展
国土交通省「明治期からの我が国における土地をめぐる状況の変化と土地政策の変遷」
現在の給与所得者数と納税者数
国税庁「令和6年分 民間給与実態統計調査」
不動産投資の実践ノウハウを定期的にお届けするメルマガもやっています。
👉 https://yasshi-taicho.com/mailmagazine/
やっしー隊長
※本記事は2026年8月時点の公開情報に基づきます。
「データ探偵 完全解説版」PDFをプレゼント

